「夢つむぐ学校」では、インタビューシリーズ “「教える」がはじまる場所” を通して、日本の「当たり前」が通じない場所で教育に向き合う人々の生の声から、教育の原点と新しい可能性を探究しています。
今回お話を伺ったのは、福岡の公立小学校での3年間を経て、現在「JICA海外協力隊(以下、協力隊)」としてソロモン諸島の小学校に赴任している大和一輝さんです。
大和さんは、「教材が足りない・授業スタイルが違う・言葉も通じにくい」環境のなかで、さまざまな問いと向き合いながら、現地での活動を続けています。大和さんのお話から見えてきたのは、「何を教えるか」よりも「自分自身がどうあるか」という姿勢の重要性でした。
日本とソロモン諸島、異なる教育環境を見つめてきたひとりの教師が語る、「教える」という営みの本質を探ります。
※JICA海外協力隊・・・開発途上国の課題解決に貢献するため、専門性を活かして活動する国際協力のボランティア派遣制度

大和 一輝(やまと かずき)さん 千葉県出身。大学卒業後、「Teach For Japan」を通じて福岡の公立小学校に赴任。人権教育を軸にした実践のなかで、教育の本質に触れる。その後、協力隊としてソロモン諸島へ。現在はアウキ小学校にて、現地教員と共に算数・体育の授業づくりに取り組んでいる。 note/Instagram |
「世界史の先生」に憧れた私が「世界の教育現場」に立つ理由
――海外で先生になることを目指すようになったきっかけを教えていただけますか?
実は、最初から海外を目指していたわけではなく、日本で地歴公民科の先生になろうと思っていたんです。高校時代、世界史の先生の人柄や学問としての面白さに惹かれ、強く憧れを抱いていました。ですが、大学生になって新たな世界を知り、その考えは少しずつ変わっていきました。
転機となったのは、「Global Teacher Program」への参加です。フィリピンの公立小学校で授業をするこのプログラムをきっかけに、「もっといろいろな教育現場を見てみたい」と思うようになりました。
その後、知り合いの紹介などもあり、アジア諸国のさまざまな小学校を訪問させていただきました。カンボジアのある小学校では内戦の影響で30代~40代の先生がおらず、19歳の先生が授業をしている。ベトナムで訪れた小学校では教材が不足しており、牛乳パックを使用して算数の教材を作っている。そうした、環境が整っていないなかで工夫を重ね、子どもたちに学びを届けようとする姿勢に心を打たれ、「海外で教える経験を積みたい」と思うようになったんです。
その後、協力隊募集の情報に行きつき応募したところ、ソロモン諸島の隣国・バヌアツの小学校への派遣が決まりました。しかし、2020年、コロナウイルスの流行により派遣が中止になり、1年間の派遣待機を経験することになりました。
そこから「待ち続けるよりも、まず日本で現場に立とう」と方向転換。小学校教諭免許を持っていなかった私は、「Teach For Japan」というNPO団体を通じて、臨時免許状を自治体から発行してもらい、福岡の小学校で3年間教員を務めました。
この3年間の現場経験は、私の教師としての視点を広げてくれました。学力や家庭環境に課題のある子どもたちと向き合うなかで、「教える技術」よりも「関わり方」そのものが重要だと実感したのです。
この気づきをさらに深めたいという思いから、「多様な環境で自分を試し、価値観や視野を新たに広げて、子どもの想いをさらに受け取れる自分になりたい」と再び協力隊に応募。そしてコロナ禍の収束後、任地はソロモン諸島のアウキという町に変更となりましたが、ようやく派遣が実現し現在に至ります。
“種まき”の姿勢で学びの土壌を耕す日々

――現地では、具体的にどのような活動をしているんですか?
アウキ小学校では、体育と算数の授業を中心に、現地の先生と一緒に授業づくりをしています。体育は全15クラスの授業を担当し、空き時間に各学年の算数の授業に入って先生たちをサポートしています。
現地の教育現場に関わるなかで、それぞれの教科における課題も見えてきました。まず体育は、そもそも本校のカリキュラムに組み込まれておらず、ボールやマットなどの器具も十分に揃っていません。先生たちも教えてもらった経験が乏しいので、どう指導したらいいのかわからないという状況でした。
ただ、現地の人たちは食生活の偏りと運動不足を自覚していて、「体育を取り入れたい」「アイデアを見せてほしい」という要望は大きかったです。

――なるほど、算数のほうはいかがですか?
算数も教材不足という物理的な課題があります。教科書1冊を何人かでシェアしたり、20年以上前の古い教材を使ったりしています。また、15クラスに対して先生が15人しかいないため、きめ細かなサポートも難しいのが現実です。
こうした環境は学びにも影響を与えていて、四則演算の基礎が身についていない子どもが多くいます。高学年でも「7+9」のような簡単な問題で指を使わないと解けないことも。
また、「問題を出して、正解を書いて終わる」スタイルの授業になりがちで、日本の授業のように「一緒に考えて、解き方を発見してから練習問題へ進む」流れがないんです。
これだと子どもたちが“考える余白”を持てません。間違えるとクラスメイトに笑われる雰囲気もあり、つい隣の子の回答を写してしまう子も。だから理解につながらず、つまずきが積み重なっているのです。

この状況を改善するためには、失敗を学びとして受け入れられる雰囲気づくりと、「学校で学んだことが大人になってからどう役立つのか」を伝えることが必要だなと感じています。
――大事な視点だと思います。日本の学校とはまったく違う今の環境で、どのようなことを大切にされているのでしょうか?
教育の成果はすぐに実るものではありません。「任期の2年間で何を残せるのか」というプレッシャーもありますが、私は“種まき”のような姿勢で活動しています。
2年間の任期を終え私がソロモン諸島を離れた後、ここでの取り組みが学校に根づくかどうかは見届けられません。だからこそ、未来の成果に固執するよりも、「今この瞬間、子どもたちや現地の先生にとって1つでも良い影響を与える」ことを大事にしたいと思っています。
「肩に力が入りすぎていた」現地の先生に学んだ“余白”の意味
――ソロモン諸島での経験を通じて、先生としてのご自身のスタンスに変化はありましたか?
先生にも“余白”が必要なんだということに気づきました。現地の先生たちは非常に“人間らしく”働いており、「今日はちょっと疲れたから帰りますね」と午後2時に帰ってしまう先生もいます。でも、誰も咎めないし、就業中に「お茶しようよ」と一息つく文化もあります。
その姿を見て、ハッとしました。「自分は肩に力が入りすぎていたんだ」と。

実際、福岡の小学校で教員をしていたころは、家庭訪問や授業準備に追われて、夜まで働きづめの日々……。「自分が全部やらなきゃ」と思い込んで、心が折れそうになることもありました。
でもある日、家庭訪問を終えて遅い時間に職員室に戻ると、仕事を終えたはずの先生が待ってくれていて、「家庭訪問どうだった?話聞くよ?」と声をかけてくれたんです。その一言に救われて、「ひとりで抱え込まなくていいんだ」と実感しました。
先生だって人間です。つらい日は帰っていいし、疲れたら休んでいい。ひとりでがんばるより、誰かと協力し、頼れるときは人を頼る。そういう“余白”があってこそ、自分自身のあり方に目を向けられるようになるんです。
――先生自身の心の余裕が、教育の質を支えるということですね。
それに、完璧を目指してがんばり過ぎることよりも、普段のふるまいのほうが人に響くと思っています。
アウキに来て間もないころ、現地の方が、「20年前に来てくれた日本人のボランティアのことを今でも覚えている」と語ってくれました。どんなことをしてくれたのか尋ねると、少し考えてからこう言ったんです。「何をやったかは忘れたけど、とにかく時間を必ず守る人だった」と。

具体的な活動内容ではなく、その人の姿勢やふるまいが心に残っているというのが、とても印象的でしたね。派手な成果や特別なことではなくても、「笑顔で挨拶をする」「約束を守る」「一生懸命やる」――。そんな当たり前の積み重ねが、誰かの記憶に深く残るんだと気づかされました。
「先生らしく」あろうとして無理をするよりも、「人間らしく」自然体でいるほうが、子どもたちの心に残ります。子どもたちは大人の「がんばり」よりも「ふるまい」から学んでいるんです。だからこそ、ひとりで抱え込まず、周囲と協力しながら、“余白”をもって子どもたちと関わることを大切にしたいと思っています。
子どもたちが教えてくれた、教育の本質は「どうあるか」
――先生として現場に立つうえで、大和さんが今、一番大切にしていることは何でしょうか?
「何を教えるか」より「どうあるか」。それが、今の自分の軸です。
ソロモン諸島で活動していると、思い通りにいかないことばかりです。授業も環境も違う。日本のように細かな学習の積み上げもできません。そんななかで思うのは、自分が「どんな姿勢でそこに立っているか、どんなふうに人と接しているか」そのものが教育になるということです。

これは福岡で教員をしていたときにも、ずっと考えていたことでした。ある日、授業中に「勉強したくない」と言ってふらっと教室を出ていった子がいて、最初は驚きましたし、「なぜそんな態度を取るのか」と戸惑いました。
でも時間が経つにつれて、「こうした行動に出るのは、もしかしたら家で嫌なことがあったからなのかもしれない」「友達とけんかしてしまって勉強どころではないのかもしれない」など、その子の背景を想像すべきだったと気づいたんです。問題は子どもの態度ではなく、むしろその背景を想像しようとしていなかった自分の姿勢にあるんじゃないかと。
子どもの姿から学ぶことは本当に多いです。先生が先回りして正しさを教えるのではなく、目の前の子どもが何を伝えようとしているのかを丁寧に受け取る。それが信頼を育てる第一歩になるんだと実感しています。
――子どもとの関係性のなかに、教育の本質があるんですね。
そうですね。たとえ教えた内容を忘れても「あの先生はちゃんと見てくれた」「一緒に笑ってくれた」そんな記憶が残ってくれたらいいですよね。
「何を教えるか」ではなく、「自分自身がどうあるか」。それが、私にとって「教える」の原点です。

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大和さんの子どもと向き合うなかで見えてきたのは、「何を教えるか」ではなく、「どうあるか」という視点の大切さでした。それは、学校や家庭だけでなく、教育に関わるすべての人に響く問いかけではないでしょうか。
まずは自分自身の姿勢を見つめ直すこと、一人ひとりの子どもと誠実に向き合うこと。そのシンプルな姿勢こそが、教育の原点なのかもしれません。
「夢つむぐ学校」は子どもたちの挑戦したい気持ちに寄り添い、可能性を広げています。
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夢つむぐ学校制作メンバー
執筆:れじちょ
取材・編集:間宮まさかず

名古屋を拠点に活動をしているうさぎライター、うさぎカフェに回数券で通っている。子どもたちの興味を大切にし、多様な学び方を応援したい。興味が湧いたらとことん学び進めるタイプで、常に新たな世界を求めています。
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